巷(ちまた)では「汚い手を使ってでもお金を稼ぐべき」論がビジネスにおいてはある種の「裏」の正論であるように吹聴されています。
いわゆる大手のインフルエンサーとして知られる方たちのなかにも、「初期費用としてまとまったお金を稼ぐためには汚い手でも使うべきだ」という旨の発信をしている方が現れていますね。
皆さんもご存知のとおり、お金を稼いでいくうえでは0から1にする過程にはとても大きな労力を割かれます。その過程ではダーティな方法も、ある程度は許容されるのではないかというのが「汚い手を使ってでもお金を稼ぐべき」の内容。
今回は、この論調について私なりに感じたこと、思ったことをご紹介させていただきます。大したことは書いていないので、どうぞ屁でもコキながらリラックスして読んでやってください。
目次
「汚い手を使ってでもお金を稼ぐべき」論とは?
一番大変な時期を乗り切るためのノウハウ
ブログでもアフィリエイトでも、もちろん他のビジネスであっても何の収益もない0の状態から利益を生み出せるようになるまでが一番大変な時期だといわれています。「汚い手を使ってでもお金を稼ぐべき」というのは、この一番大変な時期を乗り切るためのノウハウとして語られている論理です。
「汚い手」の具体的な内容とは?
「汚い手」とは、別に犯罪にあたるような「真っ黒な行為」というわけではありません。例えば、振り込め詐欺やインサイダー取引などを推奨しているわけではないのです。
具体的には
- 「法律には触れないが倫理的にはNGな行為」
- 「その本質は犯罪行為と変わりないがまだ法規制が整っていないため罰せられないグレーな行為」
などが挙げられますね。パッと思い浮かぶのは価値に見合わない高額な情報商材販売やマルチ商法などでしょうか。
ビジネスに倫理やモラルは不要!
ある意味、「ビジネスに倫理・モラルは不要」の究極形と言えるかもしれませんね。クリーンなお金の稼ぎ方ができるようになるまでに必要となる費用を稼ぐためには、このようなダーティな方法での資金調達も正当化されるというのが「汚い手を使ってでもお金を稼ぐべき」論の内容です。
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「汚い手を使ってでもお金を稼ぐべき」論の根拠
論の根拠はとてもシンプル!
「汚い手を使ってでもお金を稼ぐべき」論を吹聴している方たちの根拠は実にシンプル。たったの11文字で語ることができます。
「あの人もやっていたから」
これだけです。
世界的に有名な大富豪もダーティプレイをしていた?
世界的にも有名な大富豪たちのなかには、前述したようなダーティな汚いやり方で開業のための準備・支度金を稼いでいた人物が確かに存在しますよね。例えば、インサイダー取引。例えば、密造酒販売。日本国内でも、ワイドショーで政治コメンテーターとして活躍している人物が、学生時代には革ジャン詐欺紛いの行為をしていたなんて話も聞きます。
先人たちに「学ぶ」
「先人たちにマナブ」ではないですが、そういった過去の事例を鑑みれば「汚い手を使ってでもお金を稼ぐべき」論はある種の「暗黙のルール」「”裏”のノウハウ」として確かに存在するのではないかというのが、この論のスタート地点です。
「汚い手を使ってでもお金を稼ぐべき」論は幼稚?
実はそこまで珍しくない
ここまで見てみて、「汚い手を使ってでもお金を稼ぐべき」論は正しいのか、それとも正しくないのか。皆さんはどのように感じたでしょうか?ちなみに、私のスタンス・価値観では、もうこの論について自分なりの解答は出ていたりします。
「当たり前のことを何を今さら」
です。
誰かに頼りきった論理
そもそも「正しい」「正しくない」で区別する問題でもないのですが、とりあえず思ったのは「幼稚で退屈な主張」だなといった感じ。根本的に「汚い手を使ってでもお金を稼ぐべき」論は過去の人物を免罪符・言い訳にしている論理です。
チープで駄々っ子のような主張
あの人は汚い手でお金を稼いでいた。この人も汚い手でお金を稼いでいた。だから、自分も同じことをしてお金を稼ごう。何ともチープな、駄々っ子のような主張です。廊下を走っていることを先生に咎められた児童が、「あの子も走っているじゃん!」と駄々をこねるのに似ています。
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「汚い手を使ってでもお金を稼ぐべき」論とガチャビジネス
オンラインゲームやスマホで見るダーティプレイ
ただ、ビジネスの世界では「汚い手を使ってでもお金を稼ぐべき」論は別にそこまで珍しい主張でも、ショッキングな論理というわけでもありません。例えば、皆さんはオンラインゲームやスマホゲームをプレイしたことがあるでしょうか?私も昔はよくプレイしていたのですが、ああいったゲームは課金形式が独特ですよね。
お金儲けに特化したビジネススタイル
レアなキャラクターやアイテムを入手するために、確率1%以下のクジを1回300円~程度のお金を支払って引いていきます。アタリが出ればそのレアキャラやアイテムを入手できますが、ハズレを引いたら何の使い道もないような価値の少ないキャラやアイテムしか入手できません。
ガチャ課金システムとは?
これは射幸心を過剰に煽る販売形式で「ガチャ」とも呼ばれ、たびたび社会問題となっています。レアキャラやアイテムを入手するのに、数十万円以上を平気でガチャに費やすプレイヤーも出るとか。よく考えたらコレもかなりアコギなお金の稼ぎ方ですよね。
未成年者の子どもたちを煽って集金していく悪質さ
何度か法規制・法整備の必要性が叫ばれましたが、2019年6月4日現在。いまだ、具体的な取り決めは作られていません。ただ、もしもビジネスの世界に「倫理」や「道徳」といった観念を入れる余地があるのであれば、大手のゲーム会社は自主規制をすべきですよね。だって、オンラインゲームやスマホゲームをプレイしている層は未成年者の子どもたちがメインですよ。彼らの射幸心を煽って集金するようなビジネススタイルは非常に悪質だと私は思います。
海外ではガチャビジネスは法律違反?
しかし、そういった自主規制の声はほとんどないですよね。大きなニュースとして話題となった「コンプリートガチャ」については2012年に規制されましたが、そもそものガチャビジネスを取りやめようという声はほぼゼロです。ちなみに、海外ではこういったガチャビジネスの悪質さが認められて法律によって禁止されている国も出ています。
汚い&問題のある手段であってもより多くお金を稼ぎたい!
それでは、なぜ日本国内のゲーム会社はいまだにガチャビジネスを継続しているのでしょう。答えは簡単で「そのほうが儲かるから」ですよね。定額で販売するよりも、1%以下の確率で大人や子供のユーザーの射幸心を煽ってクジ引きをさせ、集金したほうが儲かるから自主規制はあえてしていないのです。
使い古されたフレーズを再翻訳しただけ
- 「お金儲けは綺麗ごとではない」
- 「資本主義である以上、搾取する側とされる側の関係は真理」
- 「法律違反でないのならば、あらゆる行為は許容される」
これらは別に珍しい論理ではないですよね。皆さんもフィクション・ノンフィクションを問わずよく聞く言葉・フレーズではないかと思います。「汚い手を使ってでもお金を稼ぐべき」論は、こういったごくごくありふれた通説を言い換えただけの表現に過ぎません。
「汚い手を使ってでもお金を稼ぐべき」論への所見
必ず「裏」の意味がある
結論から言ってしまえば、こういった屁理屈をこねる方は「好きじゃない」ですね。「いちいち他人を巻き込もうとするな」です。思うに、「汚い手を使ってでもお金を稼ぐべき」論を唱える方の根底には罪悪感・自己肯定感と承認欲求があるのでしょう。例えば、2012年から流行しているPPCアフィリエイトと呼ばれる手法をご存知でしょうか。
PPCアフィリエイトとは?
PPCアフィリエイトは簡単に言えば「内容のないペラサイト・ペラページを大量に作成して、そこにユーザーを誘導。アフィリエイトリンクを踏ませて収益を得る」というネットビジネスです。2019年現在は下火になりましたが、最盛期には少ない労力で簡単に月数万円~数十万円のお金を得られる人気のビジネススタイルでした。
「自分が周囲に害を及ぼしていたこと」を自認している?
こういったビジネススタイルは、当たり前ですがユーザーにとっては百害あって一利なし。周囲の方たちに積極的に迷惑をかける汚いお金の稼ぎ方として知られています。こういった「汚い手」を使ってお金を稼いでいた方たちは、心のどこかで「自分が周囲に害を及ぼしていたこと」を自認しています。おおっぴらに公言するのがはばかられるようなビジネススタイルですからね。法律では罰せられませんが、罪悪感に似た感情が付きまとうのでしょう。
罪悪感・自己肯定感・承認欲求の発露
だからこそ、どこかのタイミングで世間に公表し、「己のなかにある罪悪感を消化する機会」を欲するのだと思います。そんな機会の場が例えば、自著伝。例えば、ブログ。例えば、SNS。例えば、Youtube。ある種の懺悔なのかもしれません。彼らは誰かに肯定して欲しいのです。「お金を稼ぐのは綺麗ごとじゃないですよね」「〇〇さんの言うこと。すごくよく分かります」と。そういう意味では承認欲求に近い心理状態なのかなとも考えています。
他人を巻き込もうとするのは卑怯
ただ、繰り返しになりますが、私は「汚い手を使ってでもお金を稼ぐべき」論をわざわざ口に出す方って好きじゃないです。もっとはっきり言ってしまえば、自分を信頼してくれている方たちに向かって「汚い手を使ってでもお金を稼ぐべき」だと提案する人物は輪をかけて大嫌いですね。
廊下を走りたいなら自分だけで勝手に走っていればいいんですよ。それで多少早く目的地に到着するなり、転倒して怪我をするなり、処罰されるなりしても、それはその人の勝手です。
己の身勝手な欲求に他人を巻き込むのはズルいですよ。特に、「自分は周囲に影響を及ぼすインフルエンサーだ」と自認していてやっているのなら尚更、タチが悪い。
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「汚い手を使ってでもお金を稼ぐべき」論のリスク
とても大切なところにある「誤魔化し」とは?
「汚い手を使ってでもお金を稼ぐべき」論はもっともらしい弁にも見えますが、とても大切なところに誤魔化しがあります。それは、「汚い手を使ってお金を稼ぐこと」に付きまとうリスクについての言及がなされていない点です。
「汚い手」の具体的な内容を解剖!
ここで1つ明らかにしておきたいことがあります。それは「汚い手」の具体的な内容です。「汚い手」とひと言で述べるにしても、その内容はおおまかに次の2種類に分かれます。
- 第三者や社会にとって無価値(0)な手段。
- 第三者や社会にとって有害(-1)な手段。
の2種類です。
①:第三者や社会にとって無価値(0)な手段とは?
①は、例えばYoutubeのスクロール文字動画などが挙げられますね。ネット上に転がっている既存のネタをコピペして動画形式でYoutubeにアップし、広告収益を得るといったビジネススタイルです。第三者や社会にとって、特段の害はありませんが益もありません。ちなみに現在はYoutube側の対策によってすでに絶滅しています。
②:第三者や社会にとって有害(-1)な手段とは?
②は、例えば先ほどご紹介したPPCアフィリエイトや高額の情報商材商法。それにマルチ商法などのビジネススタイルですね。PPCアフィリエイトはペラサイト・ペラページを乱造してユーザーが「本当に知りたい情報を入手する」のを妨害する悪質なビジネススタイルです。Googleのアルゴリズムアップデートもこれに対応する形でどんどん厳しくなっている面があります。
情報商材やマルチ商法は裁判にまで発展
高額の情報商材商法やマルチ商法などは言わずもがなですね。個人的には、あれらは詐欺に近いと思っています。マルチ商法はもちろん高額の情報商材商法についても、民事裁判で販売側の不法行為責任が認められた事例もありますので、もしも被害に遭われた方は「高い授業料だった」とすぐに泣き寝入りするのではなく、弁護士さんに相談してみるのがおすすめです。
「詐欺まがい」ですらない「正真正銘の詐欺」に
基本的に、①の第三者や社会にとって無価値な手段であるのなら、そこまでのリスクはありません。問題なのは②の第三者や社会にとって害のある手段のほうです。高額の情報商材商法にしてもそうですが、宣伝文句や営業手法を少し間違えると「詐欺まがい」ですらなく「正真正銘の詐欺」になる可能性があります。
大切なキャリアに消えない傷跡が付くかも?
過去にダーティな手段で資金を集めていた富豪たちの経歴を紐解くと、逮捕されていたり訴訟沙汰になっていたりと波乱万丈なキャリアを持っている方も少なくないですよね。「汚い手」はある種の「グレーゾーン」を攻めるビジネススタイルです。そのため、自分がやっている汚いことが一体どの程度の「汚さ」なのかを鋭く嗅ぎ分ける嗅覚がなければ、大切なキャリアに消えない傷跡が付くことになるかもしれません。
積み上げてきたキャリアは良くも悪くも消えることはない
積み上げてきたポジティブな実績や誰かからの感謝が消えないのと同じで、過去に行ってきたネガティブな実績や誰かからの恨みも消えることはありません。高額の情報商材を売りつけていた人間は、何年経ってもどれだけ素晴らしい発言や行動をしても「ああ、あの情報商材屋か」と言われ続けます。
「汚い手を使ってでもお金を稼ぐべき」論の中毒性
ダーティプレイの中毒性とは?
また、ダーティな手段でお金を稼ぐことには強い中毒性があります。インサイダー取引でもマルチ商法でも、1度ハマれば真面目に汗水たらして働くのが馬鹿馬鹿しくなるくらいの金額が懐に入ってきます。高額な情報商材やペラサイトのアフィリエイトもそうですよね。こういった稼ぎ方で1度でも美味しい思いをしてしまうと、なかなか月の手取り20~30万円のお仕事には戻れません。
一度「汚い手」に染まってしまうと脱却は難しい
例えば、過去にダーティな稼ぎ方をして資産を蓄え、現在は真っ当な方法で月収入にして何百万円以上を稼いでいると周囲に発信しているようなインフルエンサーの方でも、実は裏で高額な情報商材をファンの方たちに販売していたなんて話も珍しくありませんよね。
「最初のうちだけは汚い手を使おう。ある程度お金が貯まったら、キレイな手法に切り替えよう」
というのは、口にするよりもずっと難しいことだと私は思います。
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「汚い手を使ってでもお金を稼ぐべき」論は正しい?
リスクを覚悟したうえで行うのならば
そういったリスクをあらかじめ覚悟したうえで、ダーティな手段にあえて打って出るというのであれば、「どうぞ頑張ってください」としか言えません。当たり前ですが、全ては自己責任です。
他人の恨みを買った代価を自分1人が払うとは限らない
ただ、私はおすすめしません。特に他人を騙してお金を稼ぐというような手法は大なり小なり恨みを買いますからね。他人の恨みは恐いですよ。大切なご家族がいる方は、安易に恨みを買うような働き方はしないほうが良いです。そういった恨みの代価を払わされるのは、たいてい本人よりも、その周囲の方たちなので。
人によってお金儲けの「正しさハードル」は変わる
私のような小市民は、汗水たらしてコツコツ働きつつブログ更新をしながら500円玉貯金をするほうが向いています。人によって、ビジネスにおける「ここまでならやってもええやろ!」のハードルは変わります。例えば、Youtube動画を見ても、広告をこれでもかと挟んでいる配信者もいれば視聴者目線に立ち、最小限の広告量に控えている配信者もいますよね。
己で考え抜いて自分なりの答えを出そう!
どちらの手法が実を結ぶのかは、誰にも断定できません。「汚い手を使ってでもお金を稼ぐべき」論が正しいか正しくないかも、皆さんが個々で考えて答えを出す必要があります。ちなみに、私は「汚い手を使ってでもお金を稼ぐべき」論を語る人物が目の前にいたら無言でスカシッペして笑顔で立ち去ります。
まとめ
「お金に色はない」は本当なの?
お金を稼ぐって本当に難しいですよね。よく「お金に色はない」と言う方いますよね。いかにもどこかの映画や小説の受け売りのような安っぽいセリフです。私はあのフレーズを見るたびに思います。
それは「色がない」のではなく「色を見ようとしていない」だけなのでは?って
お金に色はありますよ。色がないと思い込んでいるから、色がないように見えているだけです。子どものころに私がよく見ていた紙幣は、土や泥で茶色に変色していました。父が現場仕事をしていましたので。皆さんが頑張って、やりたくもない仕事をして稼いだお金にだって、きっと色はありますよ。
気持ちよく使えるお金をたくさん稼ぎたい!
「どうやってお金を稼ぐのか」は、その人の価値観や考え方がくっきりはっきり表れる部分だと私は思います。結局、「たぬきちはこうだ」「〇〇さんはああだ」っていうのは、参考程度にしかなりません。
皆さんがお金に不自由しない将来を掴めることを祈りつつ、今回はここまでにしたいと思います。最後までお読みいただきありがとうございました!
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